こんにちは^ ^
ペパーミントあいです。
平成27年大相撲初場所は、横綱 白鵬の史上最多33回目の優勝で幕を閉じました。
その後のニュースで、こんな記事が出ました。
<大相撲初場所>白鵬「なぜ取り直しなのか」審判部を批判 (毎日新聞) – Yahoo!ニュース
優勝を決めた13日目の稀勢の里戦が、同体取り直しになったことについて、「なぜ取り直しなのか」と苦言を呈しているようです。
このニュースを受けて、白鵬に対して「どの立場で物を言っているんだ」とか「強いからって調子に乗ってるんじゃねぇ」という批判的な意見が多いようです。
わたし個人の感想としては、落ちたのはほぼ同時に見える微妙な一番だったには違いないし、判定は軍配通りか同体取り直しで妥当だったと思います。
そのことに対して、当人が「どう見たって自分が勝ってるだろ」と発信してしまうことに対しては、若干見苦しいものを感じ、残念に思えてしまう部分もあります。
ただ、後半、
勝てたから良かったけど。取り直しの重みを分かっていない。土俵に上がってまげを結っていれば、日本の魂なんです。みんな同じ人間。盛り上がるどうこうじゃない。命をかけてやってますから」と話した。
という発言から、自分がどれだけ日本の心を学んで日本の国技を愛して相撲を盛り上げても、日本人じゃないというだけで
「国技なんて名ばかり」
なんて言われたり
「日本人の優勝が見たい」「日本人の横綱が見たい」
と言われ続けることに対して、悲しく思うところがあるんだろうなと感じました。
相手がその日本人力士の代表格の稀勢の里じゃなかったら「盛り上げるために取り直しにした」なんて発想にはならなかったんじゃないかな?
と、いうふうにも思えたのです。
あくまでも、わたしの勝手な分析ですが(^_^;)
最初の発言でも
「なぜ取り直しなのか。子どもの目でも分かる。ビデオ判定は何をしていたのか。悲しい思いがした」
と言っていて、本当に言いたかったのは最後の一言「悲しい思いがした」の部分だったんじゃないか?と、思いました。
人種の壁ばかりは、どれだけ努力しても、国籍を帰化しても越えようがないですからね。
実際、白鵬は日本人の力士よりよっぽど、相撲界全体のことをよく考えていると思います。
相撲の歴史のこともよく勉強しています。
達筆で綺麗な文字も書くし、誰とは言わないけど、日馬富士と同部屋の日本人力士達が某クイズ番組で「書き初め」を「書き染め」と書いて林先生に失笑されるようなこともないと思います。
ただ、勝負がついた後のダメ押しだとか懸賞金を受け取る時の所作だとか、前々から指摘されている残念な一面もあり……
そういう悪い意味でおおらかな部分が出てしまうと、人種だけでごちゃごちゃ批判してくる人に対して「そんなことない!!白鵬は誰より日本人の心を分かっている!」と、こちらも自信を持って反論出来なくなってしまうので、やはり残念に感じてしまいますm(_ _)m
……わたしが論破出来るかどうかはどうでもいい話ですが、せっかく素晴らしい功績を残して相撲界に貢献している大横綱なのに、それとセットで残念な一面が報じられてしまうことが、余計に勿体ないなと感じてしまうのです。。。
ただ、そうは言っても、強い横綱といえど、同じ人間なんですよね。
初場所では“らしからぬ”危ない相撲がいっぱいあったし、3日目の遠藤戦で無駄に荒っぽくなっていたのなんて、よっぽど心に余裕がなかったのではと思えました。
それでも全勝したのは、勝利へにあくなきこだわりと精神力の違いじゃないかとも思えるけれど、精神面の乱れが相撲に現れている時もかなりありました。
強い横綱でも弱い一面やダメな一面もあるものだと思って、これからも温かく見守っていこうと思います(笑)